全て新しくしたかったけど出来ないから逃げた。そして腐った。

今回は前回の続きの中学2年生の半ばの頃の話をしたいです。当時父親の所に行けば姉と一緒の学校も行かず転校できるものだとてっきり思っていました。当時の記憶は少し抜けていて忘れかけているのですが、確か転校もしていいと聞いていたような気がしたのですが、父親もそこまで私が思い込んでいると思ってなかったから転校しても良いと言ったのか、私が思い込んだだけで実際は違っていたのかはおぼえていないのです。けれど転校して姉と離れて暮らせばまたお友達も出来るのではと思ってしまってました。実際もし転校できたとしてもこの時の私は逃げ癖がついてしまい、頑張ることに無気力になっていて遊ぶことしか考えれていなかったので結局は同じような結果だったと今は思います。

 

父親の運転する借りてきたトラックに私の荷物を積んで父親が当時住み込んでいた寮に向かいます。着いてから私の部屋を用意されて一瞬浮かれてしまいます。さっきまでの寂しさがすぐに消えて自由なお部屋が作れると、これで姉に勝手に入られずに物も荒らされず取り上げられなくてすむと思うと幸せな気持ちになりました。寮自体は古くてお風呂なしなので銭湯になります。キッチンも共同だし洗濯も共同です。でもそんなことは正直苦でもなんでもなかったです。けれど直ぐにその夢は崩れさります。父親に「。。でいつ転校出来るの?」と聞くと父親は「転校はしなくていいよ。ここからきのこの通っている学校に通えばいいよ」と言われて一気にテンションが落ちました。それと「家具もこれで十分だよ」と。。そこにあったのは本当にオシャレのかけらもないタンスがポツンとあっただけ。現実逃避したかった私は夢を一気に崩れ去りました。抵抗はもちろんしたけれど聞き入れてくれるはずもなく更に距離の遠くなった嫌な学校に通う気なんて起きるはずもなく殆どいかなくなりました。

 

でも当時中学2年生の時のクラスメイトは今でもその時も一番好きでした。けれど学校の授業はもう全くついていけなくなっていたしまた暴力やいじめを私自身がしてしまうのではと、または再び私自身を否定されて嫌われてしまうのではないか。もちろん頭痛も酷かったし一回学校で頭痛持つと横になりたいくらいに痛くてたまらず起き上がるのもつらかったです。好きなクラスメイトだったから素の自分を出して嫌われたくなかったのです。後は姉のいる学校には通いたくなかった。なまけ癖がついてしまった。。。色々ですね。結局頑張らないで逃げていた私に対してそのクラスメイト達にも嫌われてしまいましたがそれでもみんな本当は優しい子が多かったと思っています。一生懸命に学校生活を送っている子達から見れば怠けてたまに通う私を見たらどうしても腹はたってしまいますよね。分かっていてもやっぱり受け入れられないと、自分が悪いと思っていても悲しかったですね。

 

あまりに学校行かな過ぎて父親にもさじを投げられて戻されてしまいます(笑)荷物を母親の所にまた送って母親の元に戻った時姉は私に「戻ってこなくてよかったのに」と普通に言い放ちます。私は(好きで戻った訳ではないよ。お前の顔なんか見たくもなっかたよ)と心の中でつぶやきました。父親の所に行ったとき食費を結構渡されていたのでゲーム欲しさに偏食になってしまってプラス14㎏ふとりました。44㎏からおよそ58㎏

迄。少し悩んだけれどその時はそんなに美意識強くなくて軽めの悩み程度でした。そして元の生活に戻ってそのまま進学します。

 

今回はここまでにしたいです。よく私は逃げていいと言っているけれど逃げ方を間違えるとどんどん道が複雑化してしまって逃げきれなくなってしまうと今は感じています。逃げても良いですが心を腐らすのではなく自分でどうすれば良いのかよく考えてそれでも分からなかったら色んな人に相談をして逃げ道を作るのは大事だと思います。私は今まで一部の人にしか相談出来ませんでした。パソコンなんてなかったし、ポケベルの時代でSNSとかは一般市民にはなかったかもでしたし、一部の人を信じなければよかったと思いました。それが家族達です。私は今亡きおじいちゃん、おばあちゃん以外の身内と元夫達は信じれなくなっていたし今はもっと他の人たちに早く相談していれば良かった。。と実感しています。意外と近くの身内よりも遠くの赤の他人様のが暖かいこともあると全てではないだろうけれど思います。