弱い私が選んだ道。。逃げ

今回はピアノのK先生との軽いやり取りと無様に無気力になってニート化して下落していくおはなしです。大体が中学2年生までのお話しです。中学生の間は特に逃げ放題でした。誰にも分かってもらえない。母親は姉ばかりといつも台所で話していて私は母親と私の部屋で2人がいる間はヘッドホンで音楽聞いていたり当時好きだった漫画をよくよんでいました。

 

私はピアノを中学2年生の時に習い事を辞めて一回ピアノの先生とはお別れします。ピアノのK先生は2人目の先生で小学1年生位からのお付き合いです。K先生には基礎用語、記号、強弱、記号の書き方、弾き方等一通りおそわりました。。が今は

殆ど忘れてしまって何となくで趣味で弾いています。。(先生ごめんなさい。。)私が小学3年生の頃に初めての発表会に出させてくれます。初めての曲はソナチネの曲のうちの一曲です。めちゃくちゃスパルタでした。私としては記号見て強弱付けているけれど、先生の言う表現が何でそうなるのか分からず苦戦するのですが父親も元音楽家で先生の家では先生に教えてもらって家では父親に教わりながら練習して発表会は無事に何事もなく楽しくおわりました。そして小学4年生。モーツァルトのトルコマーチを私はなにか惹かれて立候補します。自分で選んで好きな曲ですから一生懸命に練習して4年生の時も楽しく発表会は終わりました。そして5年生。。トルコマーチの第1楽章をひきます。去年の出来に自己満足してしまい調子に乗って練習おろそかになりました。そのころには父親も家庭内別居していて私は何かの拍子で喧嘩してから母親側についていたので教わらずあまり練習もせずそれでも家と先生の家では上手くいっていたので何も考えていなかったのです。そして当日の発表会での一小節目に私はやらかしました(笑)曲のテンポはとても速い曲なのですが何故かゆっくり弾いてしまい私はパニックになってしまって頭の中真っ白になってしまうのです。もう一回初めから弾き直したかったけれど弾き直していいものか分からず仕方ないのでそのままのテンポで弾きとおしました。落ち込んだ私に追い打ちをかけたのがまた姉が完璧と言って良いほどに弾いて終わらせるんです。二人で終わってから戻る途中に知らないおじさんが姉に「いや~最高に良かったよ。凄いね君」と姉だけに言っていて自分のいかに実力不足かを味わってしまってそれ以降はあがり症になってしまいます。小6ソナタのうちの一曲去年の事があってからまた間違えたらどうしようとプレッシャーがのしかかってしまってとても楽しむことだなんて出来なくなってしまいます。そして発表会またやらかしてしまいます(笑)リピートしないところを思いっきりリピートしてしまいます。去年よりは練習していたと思っているんですが(今現在の思い出では)普通に実力が曲に追い付いていけてなかったのだとその当時も感じざる得なかったです。最後中学1年ショパンの華麗なる大円舞曲。。これが先生と後に再会するまでの間では最後になります。練習しても上手に満足に弾けず先生も焦りからか鬼の形相(ごめんなさい笑)になって一生懸命に教えてくれるのですけれどもういっぱいいっぱいでした。自分が弾くタッチが嫌いで後は家では電子ピアノだったので音が先生の家のと全く違くて弾けば弾くほど嫌気がさしてしまってピアノが段々に苦痛に感じてきてしまうのです。この時には母親から「ずいぶん前に先生から音楽専門学校進められたけれど断ったわよ」と、しれっと聞かされていたので頑張っても趣味で終わると思っていたし、学校での虐め、母親は姉に付きっ切りで私には「あんたは大丈夫。心配なのはお姉ちゃんだ」と放置され始め、姉からの暴力はほぼ毎日&私の友達との交換日記←まだポケベルすらぎりない時代で勝手に盗み読みされて馬鹿にされたりで交換日記はすぐにやめたけれど。。これ以上誰かに否定されてしまうのは耐えれなくなってしまいました。そんな中で弾いても良い曲は弾けず完全にやる気をうしなってしまい最後は緊張のあまり先生に隣にいてもらったのですが実力の半分も出せず終わりました。学校にはそれからほぼ行かなくなります。行っても偏頭痛が酷くて椅子に座っているのも辛くて後は冷たい言葉を投げかけられて、暴力されないからやり返せない。物凄く恥ずかしくて全身熱くなって今更自分のどこがそんなにみんなが嫌がるのか聞きたくても聞けなくて直したくても直せず。家に帰れば母親は姉のことばかりで「後3年我慢してちょうだい」とか「後1回お姉ちゃんが暴力ふるったら父親の所に預けるから」←この時にはもう別居していて父親はいません。そう言われながらずっと同じような言葉を繰り返すだけ。しまいには「誰にも言うな」と。。正直学校の先生に助けを求めたかったけれどどうしても言えず友達とおじいちゃんとおばあちゃんには何度か言ったけどおじいちゃんから見れば当時私の小さいころからのイメージはしっかりとわからんちん。姉は素直に「はい」と言ういい子であったためその時は分かってはもらえずに周りから見たらただの姉妹の喧嘩位にしか思ってもらえませんでした。でもおばあちゃんはこの時は何も言わなかったけれど少し感づいてはくれていました。何となくそれはわたしの肌に伝わったし後に私の同じ嘆きを毎日聞いてくれてた時に教えてくれたからです。でもその時本当に気付いてくれる人はいませんでした。ピアノのK先生から電話がかかってきて活を入れられたのですがこれも姉がちくったのかと怒りに変わってしまって私の気持ちはどうせ誰も分かってくれないんだと。もう怒られるのは嫌だと感じてしまい後に辞めてしまいます。家にいる時はニート=ゲームですね。どっぷりはまっていました。後はお友達も家庭環境でおばさんと共に苦労して学校をさぼるようになったので私は友達と遊んだりしていました。ただただ楽しい事だけが唯一の逃げ場でした。頑張ることが馬鹿らしくて先が見えなくて何も考えていなくて努力だなんて中学生の頃は全く持ってしなくなりました。

 

当時の私はプライドの邪魔もしてしまって学校の先生には助けを求めることが出来ませんでした。後は言わなくても気付いてほしいという願いもありました。けれど人は簡単には気付いてくれなくて伝えても分かってくれなかったり面倒に巻き込まれたくなくて見て見ぬふりもします。けれど100人中1人はもしかしたら伝えれば助けの手助けは途中まででもしてくれるかもしれないです。助けを求めなければほぼ0%気付いてはくれないと思っています。39歳までの私は本気で誰かに助けを求めれませんでしたし誰に助けを求めればいいのか分かっていませんでした。周りに助けを求めても無駄なら区役所、命の相談、何でも良いので何度でも諦めずに助けを求めて下さい。掲示板は中には中傷してくる人もいます。なので素人の方よりは専門の方に諦めないで一人に限らず助けを求めてみてください。心と身体が壊れる前に。。