セキセイインコちゃん達の出会い1

小学5年生の時に同じアパートの小さい子Aちゃんがケガしたセキセイインコちゃんを捕まえたと握りしめていました。私はまっきっ黄色の綺麗な可愛いインコちゃんを初めて見て感動してしまいました。私と姉は最低なので私はどうしてもそのインコちゃんを飼いたくなりました。それは姉も同じだったようです。その子にうまく言い聞かせて家に迷い込んだことにして引き取りました。当時は情報とか保護とか何も知らなかったので迷い込んだ=育てましょう⤴という浅はかな脳裏だったのです。今だったら分かるのでどうかお許しください。

で、親を説得して飼えることになりました。1羽だけだと可哀想だという想いから2羽ショップからお迎えして計3羽になりました。その時はパソコンも携帯電話もなかったので情報は本でした。必要最小限しかない本を読んだりお店の人に聞いたりして私なりに楽しくやっていました。

私は男の子、姉は最初の子の男の子と女の子を向かいいれて同じケージにいれていたのですが、姉があるときから女の子を必要以上にいじめはじめたのです。何でそんな可哀想な事するんだろうと当時は理解できなかったのですが、数年後には私も壊れて同じような事をしてしまっていたのです。今は思い出すだけでも後悔と心苦しさが残って本当にやり切れない思いです。姉も私も人より暴力性があったんです。それなのに母親からは「あんたは優しい子だよ」と言われていたから今まで人を傷つけてきたことにその時は気付けなかったです。勿論母親だけが悪いわけではないことは承知です。

この辺り位から確か親がお店をたたんでどっか務め始めました。私は朝はともかく夜父親が家にいて家族4人で夕飯を食べれる喜びを楽しみにしていました。そんなのは数日間位?←よく覚えていませんがそんなに長くはなかったのです。私が当時住んでいたアパートは2部屋で母親と父親の部屋と姉と私の部屋に分かれていたのですが朝起きたら母親が私と姉の布団の間に寝ていたのです。初めは大好きな母親でしたから嬉しかったのですがそれが何日も続くとやっぱり変に思いますよね。姉と私が怒りながら「いい加減向こうで寝なよ」って言ったのですがそれからは父親のほうの部屋で寝ることはなくなって家庭内別居が始まりました。

それから少ししてベランダを見るとインコちゃん達がいないんです。私と姉はびっくりしてパニックになりました。原因は父親がインコちゃん達にご飯をあげたときに扉を閉めるのを忘れてしまったのです。ケガしていたインコちゃんは目の前の畑にいたのですがほっとしたのもつかの間黒猫が加えて持って行ってしまったのです。それを見た母親は「加えて行っちゃたよ」と言ったので姉は「何でそんなのんきなこと言ってるの?」と言って皆で探しに行きました。皆別れて捜したところ姉と父親がケガしたインコちゃんを抱えて姉は泣いていました。父親も険しい顔していたのですが、まだ生きていて私はほっとしてました。もう1羽私の育てていたインコちゃんが家の近くの木に止まっていたので逃げられたらどうしようと怖かったのですが、姉がしっぽをつかんで捕まえてくれました。これだけは今でも感謝しています。残り姉のインコちゃんを探していた時私は父親に酷いことを言ってしまいます。「お父さんがちゃんと扉を閉めないからみんな逃げちゃったんじゃん」と。。私は薄情で自分のインコちゃんが帰ってきてくれた安堵から疲れがどっと出てしまって先に家に帰ってしまいました。父親はずっと探していました。確かに父親の不注意でしたがそれは言ってはいけなかったと今でも反省はしています。結局最後の子は見つからずチラシを配ることにしました。

次の日学校から家に帰ろうとしたときに母親が迎えに来ました。私は「(ケガした)インコちゃんは大丈夫?」と言うと母親は「。。死んだ」と一言いいました。はじめ理解出来なくて受け入れられなかったけれども、家に着いてから亡くなったインコちゃんを見て泣きました。姉も泣いていました。チラシも配って約1か月何の情報もなかったけれどやっと一軒の電話があったのです。ただ。。出たのは母親で断ったのです。理由は逃げてから1か月経っていて相手が男性だったからだと。。私は母親に強い怒りを覚えました。それからはチラシを貼った場所を覚えてる限りとったか取らないかはうる覚えです。